島根県と広島県との県境に位置する旭町和田地区では、古くから山陰と山陽との交流があり、昔から育まれてきた特産があります。
平成18年6月開通で長さ825m。旭町から邑南町や大田方面へ便利につなぐトンネルとなりました。
新戸川橋は、難所続きの浜田作木線の道路改良により昭和62年11月に新規建設されました。長さ99.3m高さ約27mでアーチ状が特徴の赤い橋です。
島根県の中央部を流れる江の川の支流「八戸川」は県内の江の川の支流の中では最も規模が大きく,かつては清流といわれたきれいな川でした。ダム建設以後も戸川付近より上流は昔かわらず水質もきれいです。
津和野奥筋往還は、津和野藩にとって頻繁に行なわれた藩主の巡在をはじめとして美濃・那賀・邑智三郡の津和野領の飛び地を支配するため大変重要な意味を持つ道でした。
また、石見銀山大森代官所の役人が、大森から都茂を経て、日原・畑迫にあった幕府直轄領、いわゆる天領を往来する大切な道でもありました。
重富の観音滝は、高い落差ではありませんが、四段に流れ落ち数十メートルにわたる総延長の長い滝です。観音様が祀ってあり、6月には滝周辺にあじさいが咲いてきれいになります。昔は子供たちのプール・シャワー替わりでした。
本郷で生まれた故湯浅啓温(ゆあさひろはる)博士は東京帝国大学農学部卒業後は農林省農事試験場(のち農業技術研究所に統合)にはいり、以後ひたすら作物害虫の研究にまい進され、害虫の被害から農作物を守るために尽力され、害虫防除の面から食糧増産技術の指導と普及に努められました。
山辺神社は、和田八幡宮の左隣にあり、通称やいろさんと呼ばれしたしまれています。祭神は、布都御魂大神(ふつのみたまのおおかみ)と布留御魂大神(ふるのみたまのおおかみ)で、近郷の金城町・邑南町・桜江町・北広島町などからも多くの参拝者がありました。郷上ずもうが有名でした
石見神楽の歴史は古く、石見地方のその土地の人々の手によって代々受け継がれ、民俗芸能として演舞されています。その石見神楽の原型と言われる“六調子石見神楽”は、重心を下げて特徴的な足の運びをし、和田地区の神楽社中でも舞われています。演目は、「大蛇(おろち)」や「鐘馗(しょうき)」や「塵輪(じんりん)」など、全部で30種類以上あり、今でも子供からお年寄りまで惹きつけてやみません。大太鼓・小太鼓・手拍子・笛を用いての囃子は見る人を神話の世界へ誘います。
明治35年頃から植えられ始め、「和田の桃」はとても高く評価されていました。一時、栽培が途絶えた時期もありましたが、約20年前に地元有志による“桃和会”が結成され、寒暖差のある山の特色を生かし再び栽培がはじまりました。桃の果肉は硬めで甘みがとても強いのが特徴です。出荷は、6月末頃から始まり、桃選果場のある直売所では、毎年多くの人が買いに並ばれます。
江の川水系八戸川が流れる戸川地区では、毎年6月初旬にアユの解禁を迎えます。年々河川も整備され、釣り客の河へのアクセスも良くなりました。地元の方はもちろん県外からも多くの渓流釣りが趣味の方が朝早くから鮎釣りを楽しみます。